能満山 清岸院
| 宗派 | 曹洞宗 |
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| 本山 | 永平寺 鶴見総持寺 |
| 本尊 | 能満虚空蔵大菩薩 |
| 草創 | 天長四庚申年三月 天保十一年二月焼失す。 |
虚空蔵堂
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清岸院の持である。
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本尊
能満虚空蔵大菩薩
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由緒
平安時代の初期天長四年(八二七年)の創始と伝えられる。その後、堂はなくなったものか永禄三庚申年三月建立といわれる。尚承応二年改築された。元来、虚空蔵山が宗教と結びついた端緒は山岳宗教であろう。山頂に十数メートルの巨岩があり、本尊の虚空蔵菩薩は、空海上人が刻んだと伝えられている。この堂は地元の立岩ばかりでなく附近の村々の住民からも尊崇され、利根郡内でも著名な堂の一つである。又、うなぎは虚空蔵菩薩の御眷族と信じて、今でも捕えることは勿論食うことをしない。
清岸院の左、杉木立の中を通り、少し登ると石段にかかる。この四百五十一段の頂上に虚空蔵堂が有るのだが、この石段を一気に登る人は稀である。左背後に大岩を配し沼田方面を眺めるかのごとく、お堂が造られている。本堂は宝形造りで正面に唐破風の向拝を付けている。もとは茅葺屋根であろう。今は銅板葺で軒が長く二重繁垂木で、柱は丸柱とし、一面四本建である。桁の彫刻蟇股の造りからみると江戸初期頃の造りであろう。本堂と向拝の建築の年代に風化に違いがあるので、向拝は後補の可能性がある。出組、唐草文様、木鼻からおして江戸中期の後補であろう。この山頂に現存する虚空蔵堂は後世に、いつまでも残しておきたいものである。
清岸院の大樫
所在地 立岩 清岸院
清岸院に、天明年間、年貢米の増徴制度に反対し、沼田藩領民の犠牲になった小林佐七の石碑の前にある。高さ二十五米、目通り四米程である。佐七を慕う者が植えたのであろう。樹齢推定二百年、幹の北側に立條が入り、枯れた部分があらわに見える。
佐七の姻族の後胤が、水上町に居住している。佐七の墓参に来ては、大かしを眺め、ありし日の佐七を偲んでいるようである。囲圍は、老杉老い繁る東側斜面に位置しており、小林家何軒もの墓地にかこまれ、氏族の宗家としての感を呈して居り、石碑の林立も見られます。
虚空蔵祭り
虚空の恵みをもたらす仏として知られる虚空蔵さまは、山の上など高い所に祭られることが多いが、
立岩には山頂に堂々とした、お堂が祀られている。
虚空蔵さまの祭典は、現在四月十二・十三日が大祭となっている。
大祭の宵宮には行灯(あんどん)にあかりがはいり、露店が連なる。
ときには地芝居が上演されることもあって賑わったものだ。
近郷近在の信者が境内はもちろん山道までひしめき合った。
春のおぼろ月夜、若者たちのロマンスが芽生える祭りの夜でもあった。
おもて参道の石段は四百五十六段といわれている。昭和六十一年のご開帳のおり、五十基の灯篭が信者から寄進された。
石段の手前には、昭和十三年寅年のご開帳を記念して、土田国太郎、宮内金八両名が寄進した御手洗(みたらし)がある。
ちなみに虚空蔵堂は、永禄三年創建。承応二年真田家の家臣・鎌原重継再建、清岸院所有とある。
沿革
- 827年(天長4年)
- 虚空蔵堂:平安初期に創始されたと伝わる。本尊・能満虚空蔵大菩薩は空海上人が刻んだと伝承される。
- 1560年(永禄3年)
- 虚空蔵堂:現在の堂が建立されたと伝えられる(創始後いったん堂が失われたものを再建)。
- 1653年(承応2年)
- 虚空蔵堂:真田家家臣・鎌原重継により再建される。
- 1781〜1789年(天明年間)
- 清岸院の大樫:沼田藩の年貢増徴に抗し犠牲となった小林佐七を慕って植えられたと伝わる。推定樹齢200年。
- 1840年(天保11年)
- 能満山清岸院:寺院が火災により焼失。
- 1938年(昭和13年)
- 虚空蔵堂:寅年のご開帳を記念して、土田国太郎・宮内金八の両名が御手洗を寄進。
- 1986年(昭和61年)
- 虚空蔵堂:ご開帳の際、信者より50基の灯篭が寄進される。
- 現在
- 虚空蔵堂:清岸院所有の歴史的建造物として大切に保護され、参道の456段の石段とともに地域を代表する信仰・観光の地となる。
虚空蔵祭り:毎年4月に大祭が行われ、行灯・露店が並び、かつては地芝居が行われるほど賑わった伝統行事として継承される。